私は前にも述べてありますように、本心と業想念をはっきり区別することを、まず第一番に説いているのであります。
人間の本心は、人間の内面にあって分霊、直霊として、絶対神につながるものであります。
業想念とは、そうした本心から遠く離れた、肉体身保存のための、個人的小我が、利己的欲望想念行為となり、過去世から久しく、個人及び、この地球人類世界に、波動となって蓄積されていたものであって、いくら表面的意識想念、あるいは運命、行為に現われてきても、把われさえしなければ、そのまま消え去ってゆくものである。
であるから私たちは、本心(神)の方に想いをよせて、どのような誤った想念、行為がそこに現われ、どのような運命がそこに実現してこようとも、すべて消えてゆく姿として、つかまぬようにしなければならぬ、と説いているのですが、それだけではとても、そうした業想念の循環にかないませんので、守護神、守護霊の救済の力を説くのであります。
五井昌久著『白光への道』より