人間の運命に対し、不安や恐怖を持つのは、人間は神の生命を生きているんだ、神によって生かされているんだ、という、一体観を持っていないからなので、神との一体観というより、神様がすべてをみていて下さるんだ、という想いを根本にして、あとはその場その時々を真剣に生きていればよいのであります。
神と人間を離して考えた時、そこに不安や恐怖が現われてくるのですから、そこで神との一体感になる祈り心が必要になってくるのです。
人間は肉体ではない、神さまの分生命なのだ、という真理をいつもいつも心に念じるように想って、習慣の想いにしてしまうとよいのです。
そうしているうちに、肉体人間という感じから、神によって生かされている人間という感じになってきます。そうなればしめたものです。
神さまは愛なのだ、ということ。神さまによって生かされているんだ、ということ。この二つの真理を知っていることは、人間が生活してゆく上に、非常に大きな力になります。
そして神さまのみ心である愛と調和と誠実の行為をしてゆけば、その人によって、恐ろしいものも、不安の想いもないのであります。そして、この生活の潤滑油として、祈りをすればよいのです。
祈ることは、つねに神のみ心の中に住んでいることになりますので、神我一体の行といえば、真実の祈りであると答えてもよいくらいのものです。
自己の運命を恐れる想いがあったら、その想いごと、私のいう世界平和の祈りの中に入れてゆけば、運命を恐れる気持が次第に消えて、運命を神にゆだねる、という気持に変わってくるのです。
五井昌久著『運命を恐れるな』より