私は元来、音楽や文学畑の勉強をしていたので、数学や科学の学問は、至って苦手としていた。
ところが、宇宙子科学の勉強がはじまってきて、今では、数学や科学の勉強が絶対に必要になってきた。歌を唄ったり、文章を書いたり、宗教理論を説いたりすることなら、日常茶飯事のように、何でもなくできるのだが、数学や科学の勉強となると、みなれぬ楽譜をみせられたような工合(ぐあい)で、しばしば戸惑ってしまう。
ところが宇宙子科学の数式となると、10に0が80も90もつくようなものがたくさん現われる。数をみる眼がなれないと、どうにもならない。したがって、地球科学の種々な学問を土台にして、みっちり勉強しないわけにはゆかないのである。いわば、こうした土台がなければ、宇宙子科学の真髄には一歩も進めない状態になってしまう。絶体絶命といった形である。
やらねばならぬ学問となれば、苦手などと云っていられない。そこで私たちは肝をすえた。私たちと云うのは、側近の研究員の高橋君はやはり文章畑の人であり、昌美(宇宙子科学の責任者)も国文科出身であるからだ。
そう肝がきまると、いつの間にか苦手という気持ちがすっかり消えて、数式も科学方式も吸い込まれるように頭に入ってくる。そして、今では数学や科学の勉強が楽しくて仕方がないくらいになってきた。それにつれて、宇宙子科学は急速に進んできた。もう少しで、地球科学では判然としなかった、根本理論がはっきりしてくる。
ここで私が皆さんにいいたいことは、苦手を克服するためには、その事柄が自分にとって絶対に必要な事柄であることを認識することである。
絶対に必要だと言う認識が起こってきたとき、はじめて苦手は消滅するのである。
学問の世界でもそうであるが、人生万般もその通りであって、必要性を認めたことに人間は懸命になるもので、懸命になればどうしてもその仕事は上達する。
世界平和の問題でも、この世の中で、なんにもまして絶対に必要なのは、世界の平和なのだ、という認識に起(た)った時、各人の生活も世界平和を根本にしての生活になってくるに違いないのだし、どうしたら世界が平和になるかという問題に真剣になってくるに違いない。
そういう認識に人々を起たせるためにも、私たちは世界平和の祈りの運動を、何事にも優先してしつづけなければならないと思う。
世界人類が平和でありますように
この一行の祈り言に、世界人類の多くの人々の心が集中した時、世界人類の平和はそこに大きく道を開いてゆくのである。
五井昌久著『失望のない人生』より