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業の現われへの対処法①

人間というものは神の子だから、自由自在なのです。

ところが今までの宗教とか、修養とかあらゆる生き方というものは、その自由自在性を奪ってしまって、一つの囲いの中に入れてしまって、人間はこうでなければならない、こうしなければいけない、という風に決めてしまったのですね。(中略)

人間は生まれて来てこの方、自分自身の軌道があって、その軌道によって廻っているわけですね。だから、親子であろうと、兄弟であろうと、夫婦であろうと、相手を押さえて、相手を自分に屈服させて、自分の思う通りに指導しようということは、それは神さまのみ心ではないんです。

相手を自分の意思に従わせるということは、それがたとえどんないいことであっても、それは神さまのみ心ではないんです。

なぜ神さまのみ心ではないかというと、神さまが本当に力を発揮すれば、神さまは絶対で全知全能なのだから、フルシチョフがいけなかったら、ポンとフルシチョフの首を切るでしょう。毛沢東がいけないと思ったら、ポンと死なせることが出来るでしょう。ところがそういうことがないでしょ。

悪いことをやっていても、悪いままに自由にさせておく。いいことをしていても、いいままにしておく。ただ人間の自由に任せてあるわけですよね。サァ、そこが問題なんですね。(つづく)

五井昌久著『責めてはいけません-聖ヶ丘講話』より