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心の有り様について想う

人間は明るい心で、明るい生活をしてゆくことが一番よい、と普通の人は思うわけで、私などもそう思っているが、意外とそうではなく、暗さ淋しさや悲しさに心をひかれる人もかなりあるのである。

いつも明るい顔をして、何の苦労もなさそうにニコニコしていると、何も人生や社会のことを考えぬ知性の低い人だ、と暗さや淋しさを心にとめておきたい人はそう想うのである。そして、自分たちは考え深いから、そう簡単に明るくなれないのだ、と自分たちをその人たちより一段上に置こうとする。

秋風が吹きはじめ、自然がしんと落ち着いてくる時の情緒のある姿を、そういう人たちは自分たちの季節のように誇張して話したりするのである。秋の季節が好きなのは、明るい人の中にもあるので、自分の心が淋しがりやであったり、暗っぽかったりするからではない。

秋には秋の、春には春の、自然の美しい情味豊かなひびきがあるのである。その反対に明るい心がよいのだといって、わざわざ笑いの時間をもうけて、大声で笑い合っている人たちがいたが、おかしくもないのにつくり笑いをしている姿などは、神のみ心の本質とは全く関係のない、わざとらしい嫌らしい姿である。

自然や社会の動きの中の淋しさは感じる人には感じてくるので、そういうひびきを感じる人間の心の美しさもあるのだが、わざわざその方向にばかり自分の想いを向けてゆく必要はない。

心の底は明るくて、その日常生活の中で、自然や人生の淋しさや悲しみを感じながら、そういう淋しさや悲しさをより昇華させて、自然の大調和と人類の心とが一つになってゆく、一つの過程として、そういうひびきを生かしてゆくようにすることが大事である。

馬鹿笑いも嫌だけれど、人生の明るさを否定しがちな想いも困ったものである、といつも私は思うのである。

五井昌久著『心はいつも青空』より