問118
聖書の言葉に「初めにことばあり、ことばは神と倶(とも)にあり、ことばは神なりき」ということがあり、深い真理の言葉と思われますが、その真意が深遠で、胸にこたえるほどつかめませんので、ご教導ください。答
ことばと申しますと普通の考えでは、肉体の声帯を振動させて出てくる、いわゆる声によって現わされている言葉だけのことのように思うわけですが、イエスのいうことばや、神道でいうことばは、神のみ心のひびき、光のひびきをいうのです。光のひびきというのは、人間の肉声を振動させて現われれば、普通いうことばともなるわけなのです。
しかしながら、神のみ心のひびき、光のひびきは、宇宙万物を創造する力をもっていまして、すべてがこのひびき、即ちことばによって成っているのであります。
「神、光あれといえば光ありき」とある如く、神とことばとは全く一つのものなのであります。
神が宇宙の実態をあらわす表現とすれば、ことばは神の作用を現わすものである、といえるのです。
ですから、ことばは神と倶にあり、ということになるのです。
地球の人類は、あまりこの真理を知らないので、無造作に、不用意に言葉をつかっているのです。
人間の想念というのも、ことばの一種なのですから、人間の想念の波は、その想念の波の世界を創ってゆくのです。
神のひびきも、人間の想念も、言葉のひびきも、すべて事物事柄や運命そのものをつくり出してゆくのでありますから、人間の想念やことばは非常に大事なものであるのです。
この真理を多くの人々が知らないと、いつまでたっても、この世の平和は成り立たぬことになるのです。(つづく)
五井昌久著『宗教問答 (続)』より