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本心(神の心)で生きよう

(前略)人間の本心は天にあるのです。神のみ心と一つになっているのです。

本心そのままに生活していれば、その人は自由自在であり、平安そのものでいられ、周囲への大きなよい影響を与えつづけていられるのです。

業想念波動の喜怒哀楽を土台にして、しかもそうした業想念を消えてゆく姿として、祈りの中で消し去ってしまい、ひたすらいのちの本源であり、本心そのものである、神のみ心の中から、自己の生活をいただきなおすことが大事なのです。

心が、自分の頭にあると思ったり、心臓の辺りにあると思ったりしないで、自分の心は神のみ心と一つのところにあるのだ、そして自分が自分だと思っている心は、実は、善も悪もともに含んで、玉石混交のこの世の産物である業想念なのだ、

だから釈尊のいわれたように、空になるつもりで、その業想念を現れては消え去ってゆくものとして、世界平和の祈りの中に投げ入れて、祈りを起点として、改めて、行動を起こすということにしよう、と思うとよいのです。(後略)

五井昌久著『愛すること』より