(前略)神さまは宇宙に充満しています。
自分の中にもい、人の中にもい、植物の中にもいて、すべての中に生き生きとしているでしょ。
生命なのだから年中見ている。それを見たことがないという。
神さまの手にふれない、という。手にふれているのです。
自分の子供の手を握った時には、神さまを間接に握っているのです。
自分の友だちの手を握った時に、神さまを間接に握っているのです。
自分のものを抱いた時には神さまを抱いている。それを知らない。
神というのは全知全能なのです。すべてのすべてなのです。ありてあるものなのです。全部が神さまなのです。
それなのに神さまの外(ほか)に何かあると思っているんです。神さまの外に何もないのですよ。
自分は神の分霊なのだ、それなのに自分は神の分霊ではないという。
そういう想いが業になるのです。それが迷いになって、不幸のように現わされてくるのです。
だから神さま神さまといつも思うのです。
神さまだけではわからないでしょ。そこで、祖先の亡くなった人が悟って守護霊として守っている、そして、守護神を通して神さまにつなげてくれるのだから、守護霊さま、ありがとうございます、守護神さま、ありがとうございますと、いつも思いなさいというのです。
ああ、うちの悟ったおじいさん、先祖のおばあさんといったっていいのです。
そうすると、その想いが守護霊守護神に伝わって、大神さまの中へ入っちゃうのですよ。(後略)
五井昌久著『不動の心-五井昌久講話集5』より