(つづき)この世の生活で、地位が上だの下だのといい、金持だとか貧乏だとかいっていても、永遠の生命の分け命である真人からみれば、(この世のことは)ほんの一瞬のことであって、生命を汚してまで騒ぎ立てるほどのことでもないのですが、自己の虚栄心や権力欲を満足させようと行動してしまうので、生命本来の清澄な、平和な生き方が出来なくなってしまうのです。
しかし、自分の生命が永遠に生きつづけてゆくのである、ということを知らない人々の多いこの世界では、そういう真理だけをまともにぶつけて説教していても仕方がないので、この世における地位とか環境とかいうものは、過去世からの因縁によるもので、現在のあなたの行為の善悪ということだけではないのだからと、すべてを過去世のこととして、一度その人の思いを和らげて、それから改めて、そうした環境や出来事、あるいは自己の想念など、すべては現われれば消えてしまうのだからと、消えてゆく姿の教えを説いているわけです。
先日もあるトップレベルの実業家が、現われればすべて消えてゆくもので、消えた後からは必ず善いものが現われてくる、という教えは、私をすっかり勇気づけ、心が明るくなったと、とても喜んで、消えてゆく姿の教えを絶賛していました。
素直な心の人は幸せな人で、自分の生活に必要なものはすぐ取り入れて、自分のものとしてゆきますが、心の素直でない人は、当然善いとわかっていることでも、何やかと理屈をつけて、なかなか実行にうつそうとはいたしません。
道(宇宙の法則、真理、理)に乗った生活は、誰が得するよりも、自分自身の生命を生かしてゆくことであって、人に強いられてやるようなものではありません。(つづく)
五井昌久著『光明をつかむ』より