(前略)私自身はどうかというと、心の中、想いの中で、”世界人類が平和でありますように”と、いちいち祈っているわけではない。
祈っているのではなくて、祈りがそのまま行動になっているわけです。
いのちがそのまま溢れているから、あえて頭に出し、想いに出して祈っているわけではない。
行ないそのままが祈りそのもの、光そのものだから、いちいち想いを出さなくていいのです。
いや、出て来ないのですよ。
私の場合は想いを出すというより、光そのものを出しているから、想うも想わないもない。
そのまま流れているから、年中、日常茶飯事、寝ていても覚めていても、世界平和の祈りが鳴りひびいている。(後略)
五井昌久著『白光誌1965年1月号』より