(つづき)
あまりひとつのことを、これでなければいけない、あれでなければいけないと決め付けていると、それに心が片寄ってしまって、心が自由にならなくなってくる。
夫が自分の思うとおりにしてくれないと夫が憎らしくなってくる。
夫、妻、子供、家庭というものに心がくっついてしまっているから、ちょっとでも自分のいうことを聞かないと、腹が立ってしょうがない。
しかし、くっついている心を離そうとして離せなかったら、離せないままでいいから、そのまま世界平和の祈りの中に入れてしまう。
そうすると、心に余裕が出来て、世界情勢の危険な有り様(中略)が判ってくる。
そうすると、自分のことばかり思っていられないなと思う。
「どうか世界が平和になりますように、アメリカの心が静まりますように、中国の心も平和でありますように、みんなが幸せでありますように」と祈らずにはいられなくなるんですよ。
そうすると、自分の家庭の小さなことばかり思っていて申し訳ないな、なんて私は心の狭い女だろう、男だろうということになるでしょ。
心が広がり、万事に余裕が出てくると、自分以外のことを思える心になってくるんですよ。
(つづく)
五井昌久著『天の心かく在り―日本の進むべき道 (聖ケ丘講話)』より