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後進を導く者の心構え

(前略)

「阿難よ、是のように如来の心こそ、そなたの本心であるのだから、自らの本心に帰依し、法に帰依して、他に帰依すること勿れ。

また自らを光明とし、法を光明とすべし。

他に光明を求めようとなさば、自らの光明を消すに等しい。

自らの本心は光明心そのものであり、法のひびきと一筋のものである。

阿難よ、そなたは内なる心、霊身を観じて、精勤を怠らず、世の人々の想いの貧しさ、業想念の憂いを除くことに努めよ。

我が肉身の、そなたの五感に触れずなりたる後は、我が身は阿弥陀仏と一つなるものと観じ、またそなたの本心と一つなるものと憶い、自らに帰依し、法に帰依し、光明に帰依すべし。

我が滅後において、能くこの修法をなす者あらば、これを真の我弟子、第一の学者となす。

身は不浄にして常に苦を受けるもの、想念は苦そのものにして常無きもの、法は無我にして仏より発するものである。

阿難よ、能く能くこの真を悟りて、後より来る者を導くがよい」

(後略)

五井昌久著『小説 阿難』より