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生まれ来た根本の目的

(前略)

私どもは何をしなければならないかというと、人類のために、神のみ心が現われるために、神のみ心がこの地球世界に完全に現われるために、自分が生まれて来たんだ、自分は神さまのみ心の一つの光線なんだな、神のみ心を成就するために、自分はこの世に生まれて来ているんだなということを、深く深く、若い人も年取った人も思わなきゃいけないですね。

ましてある年齢になって、今までいろんなことをやった、倅に嫁が来る、娘は嫁に行く、自分はもういいんだというような人は、それこそ真剣に全部を捨てて、神のみ心を現わす仕事をしなければならない。

世界平和の祈りを念じながら日々行じていることが、神様のみ心をそこに現わしていることなんです。自分はただ単に楽しみに生まれて来たんじゃないんだ。楽しみに生まれて来たと思っている人は不幸です。

みんなで手分けで神さまのみ心を地球界に現わすんだと、世界平和の祈りの中に入っているような人たちは、肉体観念は無くなってもいいですね。

肉体観念の幸せ、肉体世界の幸せということをひとまず置いて、神さまにそれはお任せしておいて、自分は世界平和の祈り一念で生きればいいんだな、というところまで来てもいいと思いますし、今日来ていらっしゃる人はみんなそうです。

この雨風の中をやって来るということは容易な信仰じゃない。熱烈なる信仰心が、この雨風の中をここまでやって来させるんです。それを私は有難いと思っています。

(後略)

五井昌久著『魂が大きく開く時 (聖ヶ丘講話)』より