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人の痛いところをついちゃいけないよ

(前略)
私の教えを聞きながらも、
まだまだわからなくて、
よくならない人もあります。

そういう人が相談に来ると、
前の信仰の癖があって、
ついうっかり、
「あなたの信仰が足りないからだ」
とやっちゃうんですよ。

それは本当かも知れない。
けれども、
そういう風に言うことを私、
教えてないんです。

そういう風な言い方は、
消えてゆく姿なんです。

信仰が足りないのは
仕方がないでしょ。

その人は一生懸命やってるんだ。
足りなくても、
「信仰が足りない」
と責めたんじゃあ、
みもふたもないですね。

だから、足りない
というようなことを
言っちゃいけない。
その人の欠点を
ついちゃいけない。

たとえ愛であっても、
愛の言葉のように見えても、
人の欠点をついたり、
人が痛がってるところに
触れてはいけない。

本人は一生懸命
やってるつもりでいるんだから、
それを、「やってない」
と言われたら、
どうしていいかわからないでしょ。

その人にしてみれば、
全力をあげてやっている。
でもこちら側から見れば、
もっと力があるように見える。

しかし、
本人にはそう思えない場合、
「お前の信仰が足りない」
と言われたら、
その人は立つ瀬がないでしょ。

だからそういう時はそう言わないで、
「ああ、それでいいんですよ、
今にきっとよくなりますよ」と、
なんでもいいから、
向こうの言うのを
聞いてやればいいんですよ。

聞いてやって、
「世界人類が平和でありますように、
五井先生、
どうか助けてやってください」
と心の中で念じてやれば、
その光が向こうへ伝わって、
いつの間にか強くなるでしょ。

ですから
私の教えを聞いている人は、
決して人を責めちゃいけませんよ。

どんなにその人が間違っていても、
それを、
「間違ってる、間違ってる」
と責めるんじゃなくて、
それは消えてゆく姿として、
”消えてゆく姿”を
認めてやらなきゃいけない。
そして、いい方いい方を想わないとね。

それには世界平和の祈りを、
黙って祈ってやるんですね。

言葉で小言を言うよりも、黙って
世界平和の祈りを祈ってやり、
その人の天命が完うされますように、
と祈ってやるほうが、
その人を生かすことになるんです。

それを私が一生懸命
教えているわけです。

五井昌久著『自由解脱への道―聖ケ丘講話』より