(つづき)
人間とは可笑しなもので、幸福を追い求める想いがあるから、自分を不幸だと想い、よく生きたいという想いがあるから、死にたい、という反対表現をする。
幸福を求めながら、不幸だ不幸だと自己を不幸という想念の渦に巻き込んでゆき、生命をよりよく生かしたいと思いながら、生命が枯渇する暗黒の思想の中に自分を追い込んでゆく。
(中略)
こうした人たちの想念(おもい)の誤りは、まず神を知らず、神の愛を信じないところから起こるのである。
一回じっくり落ちついて、自分は一体どこから生まれて、どこへ行くものか、自分の心臓を動かし、肺臓を動かしている生命とは何か、ということを考えてみることである。
しかし、いくら考えても、こうしたことはわからない。
判らないということが判ったら、自分で判っても判らなくとも、たゆみなく自分を生かしつづけてくれる、大きな力があることを信ずるがよい。
その力に任せきるより仕方がないのが肉体人間なのだ。
大きな力は、生命として人間に働いている。
人間は生命を無視することは絶対に出来ない。
神は太陽となり、地球となり、食物となり、様々な姿となって、人間を生かしつづけているのだ。
肉体人間の文句をいう権利が一体どこにあるかを、お互いに反省してみようではないか。
(後略)
五井昌久著『心はいつも青空』より