(つづき)病気の正体というものは、抑圧した想いというものです。あまり抑えに抑え、我慢に我慢をしていると、堪忍袋の緒が切れちゃうんです。そうすると、魂の緒まで切れてしまいます。それで病気になるんです。
だから、抑圧したものがいけないんです。ストレスというのですか、それが病気の原因なんですよ。
暢気なノウノウとした人はあまり病気しません。「わしはまた病気になったアハハハ……」と言っている人はあまり病気しません。
(中略)
なぜかというと、心が抑圧されていないから、ノビノビとしているから。だからノビノビと生きなきゃね。いのちというのは自由に生きるものなんだから。
いのちは自由に生き生きとしています。赤ん坊を見ればよくわかります。昨日生まれたばかりの赤ちゃんを見てきたけれど、顔中こんなになって動いている。
(中略)
あれはいのちが動いているんです。生命が動かないではいられないんです。
動かないでいられないものを、グッと抑えちゃうでしょ。「我慢しなきゃならない。ここが堪忍のしどころだ」とやっている。「お嫁にいったら帰ってきてはいけない。二度と家の敷居をまたいではいけない」と言われてお嫁に来たんでしょ、皆さん。大体今四十過ぎてるような人はそうです。
(中略)
個人と個人ではなく、家と家とが結婚するんだからね。ひどいのになると、見合いも何もしなくて、相手を知らなかった。そして、会ってみたら顔がひどかった(笑)親が決めちゃうから、知らないで行ったりする。そんな人もあったわけです。そういうように結婚してしまって、それで忍耐して忍耐して暮らしているわけです。
そういうのが溜まっているのです。それが病気の原因であり、不幸の原因であるんです。
(つづき)
五井昌久著『講話集〈3〉自分も光る人類も光る (講話集 3)』より