(前略)
付き合ってだんだん嫌になるような人は駄目よ。
付き合ってだんだんだんだんよくなるような、そういう人に、みんなもならなけりゃ駄目ですよ。
付き合って初めは肌触りがよくて、「なんていい人でしょう」なんて言ってね、気持ちがいいんだねぇ、向こうは。なんかいい人だと思って付き合ってくるとねぇ、嫌いになってくる。
「先生、あの、この間……」初めはね、「とってもいい人なんです」なんて紹介してくるんですけど、「この頃一緒に来ませんねぇ、どうしました?」なんて聞くと、(物まね調で)「あんな嫌な人ありません、あんな嫌な……」。(爆笑)
えてして女の人はそういうの多いですよ。親友だと思っていると、そうじゃなくって敵になっちゃう。それはね、浅はかに人をほめたり、浅はかに人をけなすからですよ。
人をほめるにしてもなかなかね、浅はかにほめちゃいけませんよ。後でけなすに困るから。(笑)ほめたりけなしたりするのはね、やっぱり、よほど考えないとね。
だから私はなかなかね、人をほめない。子供やなんかはほめますよ。「いい子ねえ、本当にいい子……」って、そりゃあやりますよ。本心を出すためにね。
そういう意味でのほめ方はするけれども、なかなか人をほめません。だから私が本当に、「ああ、あなたは立派な方ね」って言ったら、それは本当に偉いんだ。そう思ってください。
そう言われる方もあるかもしれませんけれどもね。「ああ、いい人ねえ、なんていい人でしょう」って、私が感に堪えたように言えば、その人はもうしめたもんです。本ものですよ。
だから浅はかにそういうことをやっちゃあいけませんね。自然に出てくる行ないで自然にやる。それはどうしたらいいかというと、世界平和の祈りの中からね、自然(しぜーん)に出て来る行ないで、人を痛めない。人の気を引き立てる。人を和やかにする。勇気を出させる。そういう行ないが自然に出てくるんですよ、平和の祈りの中からね。
それに反する行ないは、平和の祈りの中から出てくるんじゃなくて、業の消えてゆく姿として出てくるんです。
ねっ、それは自分でよくわかります。相手の心を乱したり、相手の心を苛立たせたり、相手の心を嫌な想いにさせるような言葉やなんかは、やっぱり自分で慎んだほうがいいですね。
それで相手が和やかになるように、相手が勇気が出るように、相手が働きやすいように、そういうような行ないを、こっちが見せてゆくことが必要だと、こういうことになるんですね。
(後略)
五井先生のお話しより