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祈りの同志に望むこと

皆さんは神さまと言っていらっしゃる方だし、平和の祈りをしていらっしゃる方だから、少なくとも自分の感情で、人に小言を言わないようにしてください。

感情で人を押さえつけない。自分がイライラするから怒るなんていうのは、もう、イライラすることが業なんだからね。

それを向こうの想いが憑ってきた、なんてことはない。向こうの想いが憑ってきてイライラして小言を言うなんて、そんなら、誰かの想いが憑ったら、みんなイライラするか。(中略)

私はイライラしたことがありゃしないですよ。小言を言ったって、「バカヤロウ!」って言ったって、すぐあとでニコニコッとする。それは感情で言わないからですよ。

みんなもためしにやってごらんなさい。「このばかやろう!」って言って、あとでニコニコ出来たら偉いから。そういう練習をしてごらんなさい。

小言を言うんだったら、ガガガガーッと言っても、あとで優しくニコニコッと出来るような小言なら、大いに言ってください。

いつでも愛が、心の中に愛が一杯あってね、行う行いなら、小言を言おうと優しくしようと、それはすべてね、神さまのみ心だから、向こうをよくすることが出来ます。

だけども、愛がないくせに、自分の感情だけで、自分のイライラだけで怒っておいて、それで怒ったことを人の責任にする。「あいつが悪いから、あれの想いがうつってきたんだ。」そんなバカなことがどこにあるものか。そういうのは言い訳にすぎない。

だからいつでも、柔和なるもの地を嗣(つ)がん。明るい優しい愛の心で充満した自分がいなければダメですよ。いつでも愛が深くなきゃダメですよ。

怒ろうと思っても一遍こらえなさいよ。「あ、これが消えてゆく姿なんだなぁ。ああ、これは消えてゆく姿なんだな。世界人類が平和でありますように。あの人の天命が完うされますように。自分の天命も完うされますように」

そういうふうに祈ればね、これは両方の天命が完うするでしょ。人の責任なんか全然ないんですよ。

自分の中に出てくるものは、全部自分の責任!相手にぶん殴られて腹が立っても、自分の責任です。

いいですか。こっちに理があって、向こうに理がないでぶん殴られた場合には、自分の中に何かぶん殴られるものがあるんですよ、それは。

あるのを、中にあるのを神さまが消して下さるんだ。悪い人のように見して消してくださるんだ。その時、「ああ、これで私の業が消えたんだな、ありがとうございます。殴ってくださってありがとうございます。」というようになれば本物よ。

私もやったんだ、私もやったんですよ。私もそうやってここまでなったんです。

だから皆さんも、あらゆる迫害を受けても、どんなに自分に都合の悪いことがきても、相手が悪いと思う心を捨てて、「ああ、自分の中のものが消えたんだな、ああ、消してくださって、神さまありがとうございます。」と言える人間になってくださいよ。お願いだから……。

それが世界平和の祈りの同志に一番望むところです。私はそればっかり望んでいる。「ああ、みんながそうなればいいな。みんながそうなって下さればいいな……」

私はやってますよ。だから皆さんもそうやってもらいたいと思っているんですね。

ある日の五井先生のお話し