問126 睡眠と統一との相違をお教え下さい。
答 睡眠と統一とは、よく似たような場合もあるのですが、根本的に相違するのです。どのように違うかと申しますと、睡眠は疲れてくれば、おのずから催してくるもので、自意識でなされるものではありませんし、大体定期的にくるもので、疲労が著しくなれば、どうやっても寝入ってしまうものであります。この状態はちょうど、この世からあの世に往き、あの世からこの世に生まれ変わってくるという、あの世に生きながら往っている状態なので、肉体頭脳の意識を何ものかの力で休止させられている間に、霊線というものだけで肉体につながりながら、その人の霊魂が、守護霊の力で霊界の浄めの場に行き、そこで浄められている状態なのです。
そして浄められているその間に、幽体に蓄積され潜在されている業想念波が、目醒めてから意識しているとしないとにかかわらず、夢として現われ、消えてゆく姿となってゆくのですが、普通の人はこの原理を知らないので、その消えてゆく姿をまたつかんで、再び自己の意識の中に積みこんでしまうのです。
ですから睡眠は熟睡する程、疲労が回復するので、目醒めがさわやかになるのです。消えてゆく姿の教えを知っている方々は、夢と現われたすべての事柄を消えてゆく姿として世界平和の祈りの中に投入してしまいますので、浅いと思われるような睡りも、熟睡と同じような効果を持ってくるのであります。
熟睡のできにくい人は、この原理をお信じになって消えてゆく姿と世界平和の祈りを実行をして下さい。必ず心も体もさわやかになってまいります。
深い熟睡は統一と同じ効果をもつことがあるのです。そのわけを次に申し述べましょう。
(つづく)
五井昌久著『宗教問答 (続)』より