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真実の愛行について③

(つづき)ただよい学校に入れるために血道を注ぐ、よい就職をするために懸命になる、ということだけではなく、なんのためにそうするのか、その根幹をしっかり握っていなければ、世間的にはその母親は、いかにも子どもを愛しているように見えますが、永遠の生命的な見方からしますと、やはり、真実の愛から外れているのであります。

病気をさせないために、悪い道に入らないためにと、種々と心を砕く、そのことはなんといっても親の愛ですが、一番根本の神のみ心にあった子として育てる、人類愛の行じられる子に育てる、ということが、なんにしても大事な親の愛の行いであるのです。

そのためには親自身が、神のみ心の中に常に住んでいられるような、祈り一念の心を養っておく必要があるのです。

神を忘れ、人類全体の幸せを忘れているようですと、どうしても真実の愛の行為ができないものなのです。

あなたの言う、与え続ける愛というのもこの人類愛につながる愛だと思います。この愛行を自然に行うためには、やはり、祈りによって、常に神のみ心と交流し続けていることが大事なのです。

友人や知人を愛する場合でも、愛しても愛しても、自分に返ってくるのは反発だけだ、という場合も随分あることです。

これは、過去世の因縁の消えてゆく姿でありましょうが、もう一つは、あなたが相手に対して、私はしてやっているのだ、という一つ高みに立っての想いがある時ではないかと思います。(つづく)

五井昌久著『宗教問答 (続)』より