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真実の愛行について②

(つづき)ですから愛の一番の根源は、神のみ心の中での自他の生命の結ばれを成就するということでありまして、いわゆる人類愛ということになります。

すべての根幹をこの人類愛というところにおいて、社会も国家も動かなければいけないのです。

こう考えますと、個人個人の愛も、家族の愛も、友人知人との愛も、すべてこの人類愛を成就するところに結びついてゆく方向に向かってゆくことが、真理であることになります。

そこで、個人個人の恋愛にしても、綾子の愛にしても、兄弟姉妹の愛にしても、愛するように見えるその状態が、実は、神のみ心での結ばれを離れてしまった、単なる肉体的な愛であったとしたら、それは実は、真実の愛ではなく、動物的欲望ということになります。

母親が子どもを愛するのでも、その子を社会人類の進展に背を向けるような、自我欲望の強い人間に育ててしまうようなあり方をしているとすれば、それは母親が子どもを愛しているのではなく、単に母親が自己の感情を満足させるために、子どもをその道具につかっているに過ぎない、ということになります。

真実の母の愛は、その子どもが、なんらかの社会人類の進展のために役立つことの出来る人間に育てあげることであると思います。

言い換えれば、子どもを神のみ心に合致できる人間に育てあげるということが、母の愛行であるのです。(つづく)

五井昌久著『宗教問答 (続)』より