スポンサーリンク

死刑制度の是非について

(前略)問148

現行刑法では強盗殺人を犯したもの、または親殺しといわれている尊属殺人を犯したもの、放火犯など一定の兇悪犯罪を犯したものについては、極刑である死刑が科されてもよいように規定され、現実の裁判においても時に死刑判決がいい渡されております。

法律に規定があるとはいえ、人間が人間を裁き、さらに最高の極刑である死刑を宣告することも、果たして神様は許してくれているのでしょうか?

死刑については、今日の人類の心の状態では必要であると思います。

何故ならば、(中略)その犯罪人の業因縁を消し去り、その当人の本心を開いてやることが大事なので、甘やかした刑では、その本心開発がなされなくなります。

人間にとっては、肉体の存在よりも、霊性の向上のほうがより大事なことなのですから、魂の汚れをそのままにしておいて、肉体だけを生かしておいてもなんにもならぬことで、かえって本心の開発を遅らせ、死後の世界において、それだけ大きな苦しみを受けることになるのです。

ですから、自らが霊性を開発できぬ人のためには、他の力によって、その汚れを消し去ってやり、霊性の開発を促進させる必要があるのです。

極刑というものは、一方では他の人の犯罪を止めることにもなるのです。

ただし、あくまでも正しい裁判、正しい判決が望まれることはもちろんのことです。(後略)

五井昌久著『宗教問答 (続)』より