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真実の愛行について①

(前略)問149

五井先生はよく愛ということをお説きになりますが、常に愛深くあるということは大変なことだと思います。とくに、与え続ける一方の愛の場合、その時の精神状態によっては疲れてしまい、ヒステリックになってそれまでの愛行を台無しにするようなことも、ままありますが、こういう場合、常に精神をどのように保つよう努力すべきかお教え下さい。

あなたの言われるように、真実の愛の行いというものは、大変むずかしい行為です。しかし、この人類世界は、常に愛によって支えられているのですから、一人一人の人間が、真実の愛に目醒め真実の愛行の出来る人間になってこないと、この地球世界はついには滅亡してしまうことになります。

戦争状態などは、最も愛から離れた行為であります。お互いが自国を愛するから、自国を守るための戦争になるのだ、などという人もありますが、これは真実の愛ではなくて、自我愛ということです。

自我愛とは、神のみ心そのものの自他一体観からくる、真実の愛、仏教流にいえば、慈、日本の昔風にいえば、「むすび」という、分かれ分かれていたものが、一つになる時の心、つまりあい、合う、という心とは相違するのです。

何故ならば、神のみ心の中においては、自も他も全く一つの生命の流れでありまして、自分というものが他から離れてあるものではなく、他も自から離れてあるものではなく、すべて神のみ心の中で結ばれているものを、この肉体の世界で引きちぎり、引き裂くということになり、むすびの状態を破り、愛の心にもとるということになります。(つづく)

五井昌久著『宗教問答 (続)』より