(つづき)肉体の人間の考え方でいけば、自分を守るのは当たり前、自分の家族を守るのも当たり前。
けれど、それではどうしても世界はよくならない。
みんなが平等の愛じゃないんだから……。
「ああ、これではもう肉体の人間じゃだめなんだ」と手をあげてしまうんですよ。
「肉体の人間では世界は平和になんかなりっこない。自分の心に照らしてみればわかる」と……。
たとえば同じ飢饉のとき、自分の息子には食べさせても、隣の息子には食べさせないかも知れない。
百万人が百万人、そうだと思う。
自分の子供を捨てても他人の子供を救おうなんていうのは、人類二十何億人かのうち、百人もいません。(中略)
だから肉体の人間では、自分と社会の小さな範囲だけでも愛情は通わないんです。
出来ないんですよ。
まして世界の人類ということになったら、それは出来っこない。
自分の国を愛し、自分の民族を愛するのは当たり前だから……。
それはそれでいいんです。
それが悪いというんじゃありません。
理想家は、それが悪いというのです。
しかし理想はそのままでは現実にならない。
そこで天と地の真ん中、理想と現実を真ん中で成就させるためにはどうしたらいいかというと、”この肉体人間はダメなんだ”ということをまず思わなければいけない。
「肉体の人間というものは単なる器でもって、みんな消えてゆく姿なんだ。自分を守ろうとする想いも、人を憎もうとする想いも、相対的に考える想いも、みんな消えてゆく姿なんだ。ああ、みんな消えてゆく姿なんだ。世界人類が平和でありますように」と、自分の頭の中の想念行為を全部無くすために、世界平和の祈りの中に入れてしまうんです。
そうすると神さまのほうから、守護霊守護神のほうから、その人の心を痛めず、相手を痛めず、うまい具合に調和して、うまくやってくれるのです。(後略)
五井昌久著『空即是色―般若心経の世界』より