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禍変じて光明と化す~世界平和の祈りの主願~

敵を認めまいとしても、つい敵を認めてしまう。悪を認めまいとしても、不幸を認めまいとしても、否定しようとしても、いつの間にかそれを認めてしまっている。

こうした肉体人間の哀しい習性を、消えてゆく姿という言葉で、敵を認めたら認めたでよい、悪や不幸や、自己を責め、他を裁く、そうした想念もあるならある、そのままでよい。

それらはすべて、過去世からの業因縁の消えてゆく姿なので、そうした業因縁の消えてゆくにしたがって、神の子の本心が現われて、あなたの心が立派になり、あなたの環境に完全性が現われてくるのだ。平和になってくるのだ。

そして、そうした消えてゆく姿をどう処理するかというと、世界平和の祈りという、人類世界、母国、自己や自己の周囲が平和になり、各自の天命が完うできることを祈る、個人人類同時成道ともいうべき、広い大きな立場に立った祈り言の中に投入してしまうのだ。

そうすると、世界平和の祈りの本体である救世の大光明(守護の神霊の大集団)のみ光によって、そうした業想念は消滅されてしまい、光明は各自の肉体を通して、人類世界に遍照(へんしょう:広く照らすの意)してゆくのである。

というように、禍を変ぜしめて光明化するというのが、私の提唱している世界平和の祈りの主願なのであります。

五井昌久著『霊性の開発』より