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救われるに決まっている

私が言いたいことは、人間生きるも死ぬのも、もう決まっているし、行き先も私に会ったらいいところにゆくに決まっているし、地球が亡びようとどうしようと、皆さん(祈っている人)だけはいいところへゆくに決まっているんです。

だから皆さんは救ってもらおうではなくて、救いに立つ立場なんです。皆さんは死んだって生きたって、神さまのみ心の中にいます。今、全部がここで亡くなったって、みんな神界、霊界へ行きますから、絶対に安心していていい。

それは自分たちはもう救われているんです。救われていることを自覚しているのです。だから安心していらっしゃいよね。

ああ自分はもう救われているんだと思って、今度は救いに立つのです。「世界平和の祈りをやるといいですよ。とても心が安らぎますよ」と自分の体験を通して、パンフレットでもリーフレットでも、白光でもいい、みなさんにあげたらいい。こちらに誠意があると向こうがついてくるんです。それも決まっているんだ。

本当のことを言うと、みんな決まっているんだよ。だからのんびりしていればいいんです。ところがのんびりしようと思ったって、のんびり出来ないように決まっている人は、のんびりしやしないから(笑)。もうしゃべるだけ無駄のようなものよ(笑)。

でもしゃべることも決まっているんだから(笑)。のん気なものでしょ。このくらいのん気になったらいいです。あくせくすることぐらい馬鹿なことはありません。といって、あくせくするのも決まっているんだから(笑)。

だから決まっただけあくせくしたら、もうあくせくしなくなるから、決まっただけしましょうね。それだけでものん気になります。それを教えるために神々は来ていらっしゃるんです。

やはり決まった一つの過程があるけれども、心の方は変わるのです。守護神が中から変えます。そうすると決まったように見えていて、しかも、いいように変わってくるわけ。悪いようには絶対に変わらない。それだけ覚えておいてください。

皆さんのように世界平和の祈りをしている人は、サーッと飛躍するのです。だから安心していればいい。そのようにのん気になると、病気も治ってしまいます。神経衰弱なんか治ります。

のん気な人に神経衰弱なんてないですよ。どうせこの世の中を生きてゆくんだから、いのちを生かしきる方がいい。のん気になって生かしきる方がいい。

ああじゃないかこうじゃないか、と思いあぐむ想いを、世界平和の祈りの中に入れてしまって、日常生活をそのままやっていけばいい。そうすると前のそのままと、今のそのままとは全然違ってきて、心がズーッと開いてくる。すると人も寄ってくる、いろいろ面白いこともある、明るい話題もある、というように飛躍してゆくわけです。

一番いけないことは把われ。よくなろう、よくなろうともがきなさんな。もがかなくったって、世界平和の祈りをしていればよくなるに決まっているから。よくなろう、よくなろうともがくと、もがくことが業になるからそれで苦しむわけですよ。

ですから、「ああ私は世界平和の祈りをやっているから、救われるに決まっているんだ」と思ってください。二年たつか五年たつか、十年たつか三十年たつか知らないけれども、救われることは決まっているんです。一日たつごとに救われてゆく。病気の人などは一日ごとに治るに決まっている。いのち健(すこ)やかになるんだから。

世界平和の祈り一念でいいんです。あとはなんにもいらない。ふつうの当たり前のことをやっていればいい。

五井昌久著『空即是色-般若心経の世界』より