長い間、肉体を主として生きている想念や行為を、人々が一挙に自分たちを神霊の体であると確信することはむずかしいことなので、私は肉体身は肉体身として、今日までの生活様式はそのままにしておいて、ひたすら祈り心によって、自分の想いを神さまのみ心の中に昇華させてゆく方法を説くようになってきたのであります。
それが消えてゆく姿で世界平和の祈りなのであります。真実の祈りを知ると知らぬでは、その人にとって大変な精神の差にもなりますし、運命の差にもなります。
いつも申しておりますように、今生の運命は過去世における想念行為が、今生の運命として現れておりますのですし、生老病死の苦悩も、過去世からの引きつづきとして味あわされているわけで、あくまで肉体人間を主としての現われであります。
ですから、どうしても肉体人間観を抜けださなければ、生老病死の苦悩を超えることができないのです。
それを力まず、無理なく、特別の修業もなくて超えてゆける道が祈りの道であり、その祈りが個人人類同時成道の道として、世界平和の祈りが生まれ出ているのであります。
守護の神霊に感謝しながら、この祈りを続けておりますと、いつの間にか肉体を主にした宇宙観から、神や大宇宙を主にした生命体としての人間観に、自分も気づかないうちに変化してしまうのです。
祈りというのは、分生命(わけいのち)である人間と、大生命である神との交流を続ける方法なのでありまして、大生命の光明波動が、分生命である人間の業想念を浄め去ってくださる慈愛の道なのです。
人間の想いが、肉体に把われている限りは、死の苦しみを超えることはできません。肉体がなくなってしまえば、人間はそこで消え去ってしまうと思い込んでいるからです。
ところが実際は、人間の生命は生きとおしであって、肉体が消滅してもその人自体は消滅することはないのです。それは私や神霊の世界のことを知っている人々は、皆保証しているところです。
そういう真理を把握する想いになるためにも世界平和の祈りは大切なのです。どうぞたゆみなく世界平和の祈りを続けてください。
五井昌久著『真の幸福』より