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宇宙人との提携の経緯(前半)

私が宇宙人のことを講演会で話したり、白光誌にちらほら書き始めた頃、「先生の教義の消えてゆく姿の教えや、守護の神霊への感謝は実によくわかるし、有難(ありがた)いみ教えだが、なぜ先生が宇宙人のことなど書いたり話したりなさるのか、実に残念なことだ」というような意見が出たり、「宇宙人のことは先生の方便による教えでしょう」と言ってきたりしました。

実際に宇宙人のことなど私が言わなくとも、消えてゆく姿と守護の神霊への感謝、日々の浄め、統一会、等々、世界平和の祈りを根底にした、これらの方法で同信の人たちは、みるみる幸福になり、安心立命の境地に近づいてゆくのであり、その人々の他への善い影響力も相当な力になってきているのですから、それだけを通していっても、宗教者としては立派に真実の道を歩いているわけなのです。

それなのになぜ宇宙人のことなどを言い始めたかと申しますと、これは肉体人間の側から言い始めたのではなく、宇宙人のほうから、私たちに縁を結んでこられ、種々と交流し始めたからなのであります。

宇宙人は何故縁を結んでこられたかと申しますと、私たちの世界平和の祈りの光の波が、宇宙人のもっている心の波と全く等しい律動(ひびき)であったから、自ずと一つに結ばれたのであります。

宇宙のすべての存在はひびきなのであります。それが光のひびきであるか、業想念波動、光の未開発のひびきであるか、なのであります。

地球世界は未開発の人間の住居でありますので、光と業想念(光の未だ届かぬ範囲)との混交した世界なのであります。光と闇とがハッキリ形の世界で分かれていれば、これまた問題はないのですが、形の世界には光と闇が入り混じって現われているので、地球人間の想念行為にも、光(神の心)と闇(業、カルマ)とが入り混じってくるのです。

そこでなかなか調和した世界、平和なる世の中が現われてはこないのです。この光と闇の混交を、光(真実)は光、闇(虚偽)は闇とハッキリ分け、そして光を闇のほうに照らし出し、その光明力によって闇を消し去ってゆく方法が、すなわち祈りなのであります。(つづく)

五井昌久著『人類の未来-物質文明より霊文化へ』より