(つづき)拍手がどうして光になるかというと、私の中には何もないからですよ。
あいつは馬鹿だとかチョンだとか、そんなことは何も思っていないんです。その時は黙って拍手を打つ。すると光がピューと入ってゆく。
これを年中つづけてやっていると、業が自然にはがれてくる。
幽体にある業がはがれていくでしょ。すると中の本心がドンドン出てくるわけです。知らない間に自分の運命がよくなるわけですね。
人間の生き方としては、焦ってはだめです。この平和の祈りなら平和の祈りに入っている人は、平和の祈りの中で運命は決まっている。
平和の祈りというのは世界最高の祈りなのです。
みんな人類が平和になるということは神さまのみ心ですから、平和の祈りの中に入ったらもうその人は悪くなりようがないわけです。入らない以前より悪くなることは絶対にありません。
必ずよくなるに決まっている。ですから、よくなるに決まっていると思って、どんなことが現われても焦らないで、悪いことがあらわれたら消えてゆく姿と思って、一所懸命祈ってさえいれば、知らないうちに現われてくるものがドンドンいいものに変わっていくわけですよね。
そのうちにいいも悪いもそんなことは問題じゃなくなってしまいます。この現象のいいとか悪いとかは問題じゃなくなって、いつも心が平安になることだけを目指してゆくようになってゆくわけです。(おわり)
五井昌久著『責めてはいけません-聖ヶ丘講話』より