(前略)一般大衆とともに一緒に同悲同喜する、大衆と同化しながら大衆を導いてゆく、という立場もあるわけです。
私はそういう立場です。
イエスさんもお釈迦さんもそういう立場でした。
お釈迦さんでもいろいろな病気をしたり、痛みはあるわけです。
ただ、どこが違うかというと、どんな痛みがあっても、苦しみがあっても、その想いが、心がそこにとらわれないのですよ。
痛みの中に入ってゆかない。苦しみの中に入ってゆかないのです。
痛みは痛み、苦しみは苦しみ、そのまま流れて消えてゆく姿。
想いが(痛みや苦しみを)追いかけてゆかないのです。
みんなと同じように苦しみ、同じように悩み、同じ立場にいて、しかも同じにならない。
和して同ぜず。
痛みの中に想いが出ない、苦しみの中に想いがいないのです。(後略)
五井昌久著『白光誌1977年6月号』より