(前略)私などは一人の肉体人間と対する時に、常にその肉体人間だけを見ているのではなく、その人の霊性、つまり、守護の神霊と分霊魂魄を観ているのであります。
そうでなければ、自分勝手な想念の多い肉体人間を、神の子などとはとても思えるわけがありません。(後略)
五井昌久著『白光誌1967年1月号』より
(前略)私などは一人の肉体人間と対する時に、常にその肉体人間だけを見ているのではなく、その人の霊性、つまり、守護の神霊と分霊魂魄を観ているのであります。
そうでなければ、自分勝手な想念の多い肉体人間を、神の子などとはとても思えるわけがありません。(後略)
五井昌久著『白光誌1967年1月号』より