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永遠につながる本ものを顕す為に

(前略)この地球世界は、(中略)自己の心境の変化によっては、いつでも天国になり、浄土にもなる世界なのです。

常に変化変滅しているのがこの世界の姿です。それを私は消えてゆく姿というのです。

自他の肉体も想念波動も、変化変滅しつつ消えてゆく姿なのです。そんな消えてゆく姿の中に真実の幸福があるはずがありません。

言い古された言葉ですが、巨額の富を持っていても、その肉体が消滅したら、その富が一体なんになるのでしょう。幽界の地獄は金次第ではないのです。

だからといって私は、消えてゆく姿の想念波動や、物品を粗末にしろというのではないのです。

消えてゆく姿というのは、善悪すべての想いや環境に、人の想いを把われさせないために、表面に出して使っている言葉なのです。

消えてゆく姿という言葉の奥には、永遠につながる善いもの、本ものの姿がはっきり存在していて、業(カルマ)の消えてゆくにしたがって、その本ものの姿がはっきり現われてくるのであります。

五井昌久著『宗教と平和』より