(前略)大丈夫大丈夫と思いながら心配するのが人間なんですね。
それは過去世の因縁というか、過去世の習慣の想いなのです。
想いの習慣が”心配苦労”するわけです。
それはそれでかわいいですよ。
心配も何もしない母親ばかりだったら、面白くないですね。
話が出来なくなってしまう。
私だって心配苦労したように見せるのですよ。
「戸締りしたか、鍵はかけたか、鍵は厳重にしなさい……」こうやって教えるわけ。
当たり前に当たり前に、心配苦労するわけです。
それでなくてはかわいくないです。
あまりはじめから心配しなかったら、愛も情もないと思います。
愛情で心配苦労したような顔を見せてやる。
そうしないと、相手の心配は取れません。(後略)
五井昌久著『白光誌1976年11月号』より