スポンサーリンク

人間が人間であるために(後半)

(つづき)
いかに人間の形をしていたとて、ご飯が食べられればいいんだ、女の人や男の人と遊べればいいんだ、ただ楽しめばいいんだ、というのでは人間ではありません。

そのままの生き方をつづけていったらば、やがて肉体がなくなって、往った世界において、グーっと低いところへ落ちてしまうんです。

自分だけ、自分の生活しかないんだから、友だちもいなければ、仲間もいなくて、ただ暗い中に、自分が一人うごめくだけです。利己主義者の先行きの姿というのは、そういうものなのです。本当に死んでしまうわけです。生命が生きないんです。

ですから肉体がなくなっても、生きつづけられる人間というのは、どういうことなのかというと、やはり神様につながって、「神様ありがとうございます、こうして日々生きられるのは、神様仏様のおかげでございます。守護霊さん守護神さん、ありがとうございます」というように、常に神様に感謝出来る人、神様といわなくても、先祖でもいいですよ、「先祖の方がみんな守ってくださって、私はこうして生きていられる、ありがとうございます」と思える人は、それは神様に通じますから、それもいい。

そのように常に感謝しながら、しかも人類のためになるように心がけ、実行していなければ、それは人間としての価値がない。

そこで皆さんの心がけとしては、「そうだ、私は動物と違うんだ、私は人間なんだ、人間であるから、人類の進化のために、人類の平和のために、未来の幸せのために、自分も働かなければならない。どう働いていいか、わからない。ああ、そうだ、手近かにいい事を教わっている。世界平和の祈りを自分がし、家族も幸せにさせ、あらゆる人にさせるような運動をすればいいんだ、その手助けをすればいいんだ」とこういうことになりますね。
(後略)

五井昌久著『悠々とした生き方―青空のような心で生きる秘訣 聖ヶ丘講話