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真の赦しと悔い改め

(前略)赦しというのは悪を赦すのではなく、その犯した人が悔い改める心を起こした時に、その人はすでに良心の光に目覚めた人なので、その悪は消えてゆく姿となるんです。そこで、「あなたの罪はもうないんですよ。あなたが悔い改めの心を起こした時に、あな...
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真理の光に照らされた生活⑪(完)

(つづき)世界平和を願わない者は、正常の精神を持った人ならほとんどいないわけなので、世界中が願っていることと思います。そこで、世界中が願っていることを、祈り言葉として、常に心に唱えることにするのです。この世は皆さんが気づこうと気づくまいと、...
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真理の光に照らされた生活⑩

(つづき)一口にしていえば、新聞などでみるだけでもよいのですが、米国が中国に対する考え方、また中国が米国に対する考え方、日本が米国や中国に対する在り方などを、じっと見つめていますと、何か割り切れない、これではいけない、という考えを頭のある人...
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真理の光に照らされた生活⑨

(つづき)そこで私は、消えてゆく姿で世界平和の祈りのような、日常生活そのままで安易にできるし、なんの規則も把われもなくできる方法で、個人の観の転換をはかり、世界人類の業想念波動が知らぬうちに浄まってゆく方法を実行し始めたのであります。心ある...
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真理の光に照らされた生活⑧

(つづき)日々座禅観法をしたり、断食したり、山にこもったりするならむずかしいが、日常茶飯事そのままで、日常生活そのままで、ただすべてを消えてゆく姿として、世界平和の祈りの中に想念を投入してゆくだけなのですから、これを易行道といわざるを得ない...
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真理の光に照らされた生活⑦

(つづき)なぜかと申しますと、この世では虚色の着物を着られるのですけど、あの世ではその人々の想念の波そのままが、その人の生活環境となって、自他共にはっきりみえてくるのですから、虚色は虚色として、虚勢は虚勢として、そこにうつし出されるわけであ...
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真理の光に照らされた生活⑥

現代人にマッチした光明生活ちなみに、一休禅師が宗雲老師の門に入ったときの話をしてみましょう。一休は善道に命をかけた人でありまして、石山寺にこもって三週間の断食をしたり、観世音菩薩に断食の願をかけたりしたこともありましたが霊験を得ず、ついに宇...
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真理の光に照らされた生活⑤

(つづき)この世の生活で、地位が上だの下だのといい、金持だとか貧乏だとかいっていても、永遠の生命の分け命である真人からみれば、(この世のことは)ほんの一瞬のことであって、生命を汚してまで騒ぎ立てるほどのことでもないのですが、自己の虚栄心や権...
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真理の光に照らされた生活④

(つづき)そうした立派な宗教者というのは、何も宗教団体にばかりいるのではなく、実業家にも政治家にも科学者の中にも存在しているのでありますが、表面だって、宗教を口にしたりしない人が多くあるわけです。主よ主よというものばかりが救われるのではない...
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真理の光に照らされた生活③

(つづき)話にきくと、宗団の権力で、実業家の仕事をおびやかしているところもあるということで宗教家が権力欲で事をするようになっては、その宗団の末路は知れたものというべきです。実業家たちが、お互いの仕事を拡張するために権謀術数を用いていることは...
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