五井先生に学ぶ

今改めて学ぶ『人間と真実の生き方』


『世界平和の祈り』の祈り方について

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(前略)問27 世界平和の祈りをしているうちに、次の言葉につまったりしますが、祈りは先生の書かれた順序どおりに唱えたほうがよいでしょうか?

答 世界平和の祈りは、文字に書いてある言葉どおりに唱えなければいけないとか、順序を取り違えたらいけないとか、いうものではないのです。

それは文字以前の言葉、言葉以前の想念にあるからなのであります。この言い方は少しむずかしいようですから、やさしく説明いたしましょう。

まず白光誌の表紙裏に常に印刷されてある世界平和の祈りという文字を見、その祈りの言葉を見ますと、守護霊、守護神という言葉を、ただ神という言葉にかえて思った時、実にわかりやすい、子どもにでも一目でわかる言葉が、文字として並べてあるので、おぼえる、おぼえない、考える、考えないというほどに、表面に現れている文句はむずかしいものではありません。

誰にでも、一目で意味のわかる、現代的な、平易な言葉が文字として書かれてあるのです。ですから、実際に祈る時には、その意味は、もう各自の心にはっきりわかっていることなので、順序が逆になろうが、途中で言葉がつまろうが、そんなことは、その祈りの大意になんら関係はないのであります。

ですから、「世界人類が平和で……」と、その人の想いがその文字の中、いいかえれば、世界人類の平和を達成せしめようと働いておられる救世の大光明(人類守護の神霊団体)の流れの戸口をあけたことになるのです。

何故かといいますと、この祈りの言葉は、一言一言にそれぞれの力がある、ということも事実ですが、その全体の意味に大きな力があるのでありまして、最初の「世界……」とその人が祈りの言葉を心に想い、あるいは言葉に出した時には、人類救世の大光明の流れにつながるスイッチをひねったことになるのであって、もうその後は、こちら側、つまり肉体人間の側からの念力ではなく、あちら側神界からの救世の働きが、肉体のほうに伝わってくるのであります。

それはちょうど、電流のスイッチをひねれば、電流が何をしなくとも自然に流れてくるのと同じ理であるのです。要は、こちらの想いを救世の大光明の方に向けかえればよいので、念力で神の力をこちらに引き下ろすというようなものではないのであります。

順序がどうでも、途中で祈りの言葉を間違えても、その人の想いはすでに、全体の言葉の意味をつかんでいるに決まっているのですから、そうした引っかかりは、いささかも世界平和の祈りの邪魔にはならないのです。(後略)

五井昌久著『宗教問答 (〔正〕)』より

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