(前略)人間というものは、自分というものが無いのが一番いいのです。
自分の名誉がどうとか、自分の欲望がどうとか、というものが無いと、何を言われても平気のへいちゃ。
「お前首切るぞ」、「ハイどうぞ」、「お前これだから罰が当たるぞ」、「ハイどうぞ」とこういうわけね。
なんにも無いものが、怖いわけがないでしょ。
自分があるから怖いのです。
自分があるから死ぬことが怖い、病気が怖い、貧乏が怖いでしょ。
自分が無いものが何が怖いか、そうでしょ。
病気も怖くない、死ぬことも怖くない、なんにも怖くありませんよ。
そういう境地にならなければダメでしょ。
そこでもし怖いものがあったとすれば、怖い想いを“世界人類が平和でありますように、私共の天命が完うされますように”というような祈りの中に入れてしまえば、その怖さは消えます。
やっぱり人間は、無畏怖、無恐怖、不退転、不動心、そういう心境にならなければダメですよ。
「自分が自分が」と言ってるだけ怖いのです。(後略)
五井昌久著『魂が大きく開く時 (聖ヶ丘講話)』より