(前略)今日(こんにち)の敵は米国でもなければ、ソ連中共(現ロシア、中国)でもない。永遠の生命観から離れた、その場その時だけの自己満足の想いに酔う心である。
その時々で敵をつくり味方をつくる。その敵も味方も、すべて自己保身のため、自国の利害得失を中心にした敵であり味方であって、天から見た正であり、義である道を進んでいるのではないのである。
天道には敵がない。だから特に味方と呼ぶ必要もない。
ただ未(いま)だ光の射(さ)していないところに、光明を放射してゆく行為が必要なのである。
光明の射さぬところを闇という。闇の中では憎悪があり、敵があり、戦争がある。
敵を認め戦争を認める想いは、闇の中の生活から起こる。
今日からの世界は、そうした闇の想念をすべて消し去らねば生まれてこない。
闇の想念が消え去らねば、地球世界の未来はないのだ。
西郷や勝の愛国心に加えて、人類愛という心が働かないと、地球の未来は破滅するより仕方のない時に今はきている。
明治維新の頃の朝廷と幕府を、米国とソ連中共と見、日本を世界全体と仮定してみた時、西郷や勝のような私心のない動きこそ、今日の日本人には特に必要といえるのである。
五井昌久著『神への郷愁』より