(前略)みなさんが、形が違ってこうやって分かれているけれども、本当は最後の所へゆくと一つになっちゃうんです。
みんな兄弟姉妹なんだ。みんな一つなんだってことになるのです。
みんな一つであって、他人なんてありゃしない。それがみんな他人のような顔をしているんですね。
日本人同士だって、通りすがっても挨拶しないです。知った人だって、うっかりすれば挨拶なんかしません。
ところが、本当だったら歩いていて、正面に会ったら、ニコッとしたっていいんです。ニコッとなんかしたりすると、『アイツ、おかしなやつだ』なんてね(笑)。『俺の顔を見て、笑いやがった』と。
本当は兄弟姉妹なんです。ところが兄弟姉妹の中でも、親しい兄弟と、親しくない兄弟とこの世でもあります。
前の世の中でもそうで、前世において親しかったものが、こうやって集まっているんです。
だから初めてであっても、とても親しい人もあれば、長く付き合っていても、親しくなれない人もある。それが前世の因縁、過去世の因縁というんです。
ところが神さまの場合には、神さまの中から生まれてきたんだから、親しいも親しくないもなくて、みんな慕わしいに決まっている。慕わしいんです。
だから本当は、私なら私に会った場合に、神さまといわなくとも、祖先が働いている、その上に守護神が働いている。やっぱり神さまですね。
神さまがここに働いているんだから、会った時に何も理屈をいわなくても、なんだか慕わしいような、親しいような、なんかそういうような感じがするのが当たり前だ、と私は思うんです。(後略)
五井昌久著『光明の生活者―五井昌久講話集3』より