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命をかけて一緒に働いてくれる人が欲しいのだ②

(つづき)「世界人類が平和でありますように、そんなことやったって大丈夫かしら。そんなことできるかしら」、それはダメなんです。

「ああ、そう言われた。やってみよう」。損はないんだから、こんなもの。何にも腹が減るわけじゃないんだよ。くたびれるわけでもなんでもない。「世界人類が平和でありますように」、なんでもない、ね。損は一つもないんですよ。だからおやりなさい。

1回よりも2回、2回よりも3回、1日よりも2日、2日よりも3日、3日よりも4日。だんだん光が強くなります。

やらなきゃダメ、やらなきゃ。やらないで理屈を言ったって何にもならない。やることです。すべてはやることです。

一番いけないのは評論家ぶることです。やらないで理屈ばっかり言う。「あれはダメ」、「これはダメ」、「ああじゃない、こうじゃない」、そんなこと一体なんになるか。

自分がやらなきゃダメです。百姓は米をつくらなきゃ。「肥料をやって米はこうなった」なんて、そんなのも必要かもしれないけど、しかし実際にやる人がなければダメなんですよ、やる人がなければ。だから世界平和の祈りでも(それと同じように)やる人がなければダメなんですよ。

やる人が1人でも2人でも3人でも、5人でも多くなれば多くなるほどいいのです。しかし、多くなるようになっているのですよ。

宇宙人が降りて宇宙科学ができることも確実。世界平和の祈りが世界中に広まることも確実。これは独善ではなく必ずなるのです。

なるために私が命を懸けてやってるんだ。皆さんも一生懸命やっている。わかりますね。

宇宙人との交流は着々と進んでいる。宇宙科学も着々と進んでいます。地球の科学者が見てもね、「ああ、こりゃあなるほど、素晴らしい科学の原理なんだな」ってことがわかってきつつあります。

だんだんだんだんそれが進んでまいりますと、「あーっ」とみんなが目をむくような、「はーっ、すごいことだなぁ」ということが眼前に開けるんですよ。わかりますか?

助けるのは何かというと、皆さんの世界平和の祈りです。皆さんの世界平和の祈りがね、自分の運命をよくするとともに、皆さんの家庭をよくするとともに、世界人類を救う大変な大変な力なんです。

理屈はもういりません。世界平和の祈りに入ったら、世界平和の祈りを一生懸命やればいい。これがダメだと思ったら、ほかの祈りをやればいい。何でもかんでも一生懸命やってごらんなさい、ねっ。

自分がそうだと思うことを一生懸命やりなさい。こんなものできないと思ったら、これがダメだと思ったらよそで一生懸命やればいい(中略)そういうものなの、人間ってものものは。(つづく)

ある日の五井先生のお話より