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想念と行為に隙間がない生き方を

あれこれ想いわずらっての後に行為に移すというのが、肉体人間の今日までの在り方でありますが、実は神の子の人間というものは、本心本体からのひびき、つまり神のみ心のひびきがその瞬間瞬間の行為となって現われてくるもので、想念と行為とが離れてあるものではないのです。

しかし、祈り心や行ないをする時は、想念が祈り心そのままになっていますので、神のみ心がそのままその人の行為となって現われてくるもので、想念と行為とが離れてあるものではないのです。

五井昌久著『白光誌1980年5月号』より