(つづき)
神さま(守護の神霊)のほうでは、この人には何年何月にいくらいって、何年何月にいくらいる、そして、何年何月になったらあの世へ行く、とちゃんと知っているわけです。それをチョコチョコ、細切れにお願いすると、せっかく利息をつけて、来年になったら千万円にしてやろうと思っているのに、十万でいいですから十万円を今いただきたい、と欲しがる。「それじゃしょうがない、十万円やろう」ということになって、千万円いただけるところを、十万円で終わってしまうのです。そういうことになるのだから、あんまり小さく小さくせがみなさんな、ということです。
神さまに大きく祈ったほうがいい、大きくなればなるほど、その人は立派になります。現象的にも精神的にも立派になります。
神さま神さまといったって、自分の行ないが愛に背いているもの、あるいは思いやりの足りない行ないだったら、それはダメなのです。
自分の行ないが愛深く、思いやり深く、相手と自分を同じように見て、相手にいやなことは自分も嫌なんだから、それを相手にはしない、相手が喜ぶことをする、というように出来ていれば、宗教宗教と言わなくったって、その人はいいのです。
ただ、宗教とか、神さまとか、霊界ということがわからないと、ただ行ないだけで、死後の世界を否定したり、神を否定したりしていると、亡くなった後の世界で、そちらの世界での修行がありますから、生きている間に神さまも信じ、霊界のあることも信じて、それでしかもいい行ないが出来れば、それが一番いいと思うのです。
皆さんのように、神さまも信じているし、神さまのこともわかっている、そういう人たちがいい行ないをしていれば、それは完全になるわけです。
(つづく)
五井昌久著『悠々とした生き方―青空のような心で生きる秘訣 聖ヶ丘講話』より