(つづき)
業想念波動を光明波動に変えるこうした状態における心の波を業想念波動というのであります。
そこでこの業想念波動を、どうにかして透明な、すっきりした光明波動に変えなければ、人それぞれの本心のままの働きが出来ないということになり、生命が常に生き生きと働けなくなるのです。
その方法を、諸聖祖をはじめ、種々な宗教指導者が、各自のやり方で説いているわけなのであります。
わたしは、業想念波動を光明波動に変えてしまう方法を、”消えてゆく姿で世界平和の祈り”という方法で人々に説きつづけているのであります。
想念波動が曇りのような状態では、いつまで経っても真実に人間生命を生かし切ることは出来ませんし、この地球世界を光明波動に充ちた、完全平和の世界にすることはとても出来ません。
そこで私は、各自の想いを一度、神のみ心のなかに、投入し切ってしまうことをすすめているのであります。
これだけでは、浄土門をはじめ、各宗派がだいたいやっている方法なのですが、私の方法は、ありとしあらゆる想念も、この世における災害も不幸も、すべて過去世からの神のみ心を離れていたことによって生じた波動であるとして、この業想念波動を消滅させるためには、神のみ心の中で消していただくより方法はないのだから、祈り心をもって、神の大光明の中で消して頂こう、というのです。
神とただ言っても、その神のみ姿をつかみようがないから、神のみ心そのものである、人類世界の完全平和ということに、すべての想念をもっていってしまおう、というので、自他の業想念を消えてゆく姿として、世界平和の祈りの中に入れ切ってしまうことを提唱し始めたのであります。
(つづく)
五井昌久著『神は沈黙していない』より