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“煩悩即菩提”の生き方

煩悩の多い人と少ない人があるんです。現われ方のことですよ。煩悩の現われ方の多い人と少ない人があるんです。いわゆる元の業想念が多くても、現われ方の少ない人がある。それから煩悩は少ないのに、現われ方が激しいように思う人もある。

それはどういうことかといいますと、自分の心を見つめることの多い人と、ちっとも見つめない人とあるわけです。ちっとも見つめない人は、いくら何が出てきたって平気なんです。

短気でも、「なんだよ、俺は短気なんだよ、何がおかしいんだよ」、人を騙しても、「ハハ、あの野郎バカだから騙されたんだ。俺のほうが利口だ」、こう思う人もある。ねっ、ちっとも悩みやしませんわね。煩悩があっても、見つめ方が少ないから全然悩まない。

その片方で、ちょっとしたことでも、「ああ私は悪いことしちゃって、あの人に悪いことしちゃって、私は一体どうしたらいいかしら……」なんてね、向こうがなんとも思ってなくても、自分をほじくり出して、2日も3日も7日も悩んで、終いにはノイローゼになってしまう人もある。それは、あんまり自分の心を見つめ過ぎちゃうからね。

だからね、「あんまり見つめちゃいやだわ」なんてなんかあったけど(爆笑)、あんまり自分の心を見つめすぎちゃってもダメなんです。これがね。まぁ、適当にやんないとね。あんまり自分の心をえぐりえぐって、私は精神分析なんかは、あんまり好きじゃないんですよね。あんまり自分の心を見つめて、「あれがこうでこうなって、あーあたしもーどうしたらいいの、あたしの悩み、ああ、あたしは汚い人間……」なんてやり始めるとね、どうにもこうにもなんなくなる。

だから適当にやんなきゃなんない。それで消えてゆく姿ってのがあるんですね。誰も彼も、どんな偉い人でも、潜在意識には業があるんだから、それは消えてゆく姿として現われてくる。だから、サッパリと、サッパリと消えてゆく姿で平和の祈りをする。

「ああ、あの人に悪かった。ごめんなさい。あの人の天命が完うされますように。私の天命が完うされますように。ごめんなさーい。世界人類が平和でありますように」って、やるんですよ。ねっ、そうやって、パッと反省して悔い改めて、神さまの中に入ってしまえばいいのに、「あの人に悪かった悪かった悪かった……」ってそればっかりやってる。自分をいじめている。「悪かった」と思ったって、向こうには通じやしない、そんなものは……。ねっ、ただそれだけだ。

それは、自分をいじめながら、相手にはちっともいい影響を与えないわけね。それで両方とも損しちゃう。相手にも損させ、自分も損する。

だから「悪かったー」と思ったら、「どうかあの人の天命が完うされますように。私の天命が完うされますように。守護霊さん、守護神さん、お願いします。世界人類が平和でありますように」、こうやれば、相手に光が行きます。自分にも光が入ってきます。だから煩悩が出てきたところを、すぐに光に変えてしまうわけですね。それをやることが煩悩即菩提なんですね。

五井先生のある日のお話しより