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老子と世界平和の祈り

老子には普通、人が考えているような、自己というものがありません。(中略)

神のみ心、み光がそのまま霊身肉身を通して、大光明となり、地球人類全般にひびきわたってゆく、そういう人が、自己を無にした人、無為の人というのであります。老子はそういう人です。

そういう老子ですから、その人がこの世に存在するというだけで、この世はそれだけ光明化するのです。ですから、老子のような人が現在この世に存在していれば、人類は確かに大きなプラスになります。

果して老子は過去の人なのでしょうか、現在も生きつづけている人なのでしょうか、私ははっきりと老子が現代に生きつづけていることを知っているのであります。

それは、言葉や文章の教えを主として生きているということだけではないのです。生き生きと私たちの中に生きつづけているのであります。

私は老子の光明体をしっかり私の中に同化させています。老子の教えの無為の道を、はっきりと自己のものとした人は、誰も老子の光明体と一緒になっているのです。もっとつっこんで言えば、老子をも含めた大光明波動の中で生きつづけていることになるのです。

老子は無為の人であり、大調和の人でもあります。それはそのまま、この世の平和達成の為の先人であります。その老子が光明体となって、私共の世界平和の祈りの運動の中で、その光明力を発揮させているのです。

私共が世界平和の祈りを祈る時には、そうした老子の光明力をも含めた、人類救済のために働いて来られた、諸神善霊の大光明力が、地球隈なく放射されるのであります。

世界平和の祈りをする私たち肉体身は、大光明波動を地球人類に放射する、一つ一つの場となっているのです。老子のいう無為、釈尊の説く空の境地には急速になり得ぬ人々も、世界平和の祈り言によって、大光明波動の器となることは容易なのであります。

こうした容易な祈りの運動が、人類の波動調整の役目となり、暗い誤った人類の波動を光明波動で浄め去ってゆき、大宇宙法則に人類の心を乗せてゆこうとしているのです。道にしっかりと乗せてゆく、そういう道筋を世界平和の祈りがつけてゆくのであります。

五井昌久著『老子講義』より