(前略)
私どもが毎日使っております、この言葉というものの中には、想念波動のひびきも、実在の世界の言(光)のひびきも混じっているわけなのですが、得てして人々は、汚れた業想念波動の言葉を使いたがります。(中略)
私ども人間は、日々使っている言葉や想念波動を通して、実在界の言の中に昇華してゆく必要があるのです。
「あの馬鹿野郎」という言葉を「あの人の天命が完うされますように」と変えてゆき、「この世に平和などとてもこない、地球はもう駄目なのだ」という想念波動を、「悪いものごとはみんな過去世の神のみ心を離れていた誤った想念行為の消えてゆくために起こっていることなのだ、消えてゆくに従って必ずよい地球世界になってゆくのだ」というような明るい想念になって、世界平和の祈りの中にもってゆく、というように、実在界の光明につながってゆく生き方をしてゆくことが大事なのです。(中略)
言葉なんかなんでもないと思っていたり、想念の重要性を無視していたりしたら、これからはとんでもないことになってきます。
人間の想念が、これからの人類の運命を決定してゆくのです。
言葉は神なりき、の言の世界に人類は、一度還らなければなりません。
それは、肉体を脱ぎ幽体を脱いでゆくというのではなく、肉体をつけたまま、幽体をつけたままで、想念意識として、まず言の世界の光明波動の中に投入してゆかねばなりません。(中略)
『空になり、無為になり、全託をして』という状態に、否応なしに人類は、一度還らねばならないのです。
(後略)
五井昌久著『聖なる世界へ』より