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不幸を契機に運命を開く④

(つづき)

治ってしまったあとの高橋君というのは、非常に明るくなりました。前は暗かったんです。道場にいても、ほとんどしゃべらないんです。一日に一言ぐらいしゃべるかな。こっちから話しかけなければしゃべらないんです。今はいくらか冗談も言うけど、今だって冗談言えたでしょ。大体があんな冗談なんか言える子じゃないんですよ。すごくまじめで純真でね。

お父さんがまた、これに輪をかけたような黙った人なんです。だからおそらくあの二人がいたら、一日全然しゃべらないと思う(笑)。そういう親子なんです。お父さんはとてもいい人で、やさしい人なんだけれど、要するに恥ずかしがりなんです。子供と口を聞くのもはずかしいんでしょうね。

生長の家もやってたんですが、やめちゃったわけです。それで、宗教というものにあんまり興味がなくなっていた時なんです。ところがこの子が治ったために、お父さんが熱心に来る。お母さんは前から来ていましたから、もう一家全部でもって入って来て、今は光明燦然と、それこそ一家中が光り輝いている。それで座談会もやっていますし、まったく生まれ変わってしまって、まるで別の家になっちゃったわけです。

そういうように、神さまへのお任せ、全託するということは、素晴らしい効果があるんです。すべては任せることから始まるんです。

なぜ任せることから始まるかというと、元々は神さまのものだからです。

人間は神さまから離れてあるものではないんです。神さまの中に人間があるんです。神さまの中に人間があるのに、人間と神さまは別だと思っている。

神さまは天にあって、人間は地にあって、神さまと人間は別々だという考えは根深いんです。「人間は神さまと一つなんですよ」と言っても、なかなかそう思わない。それはなかなか根深いものです。

そこで私はそういうふうに言わないで、神さまは、守護霊守護神という形をとって守っている。守護霊は祖先の悟った人、その上に神さまの救済の働きとして、守護神がいらっしゃる。だから人間は、守護霊守護神に守られているのです。中にも神様はいるんだけど、それだけじゃわからないから、守られているように私は唱えている。

(つづく)

五井昌久著『自由解脱への道―聖ケ丘講話』より