(前略)
私はここで神という言葉を使っていますが、宗教だ神だ仏だと、それのみに熱中しているように見える人々の中に、その熱中する原因が、すべて自己本位のものであり、自我欲望、自己利益のためだけのものである人が、かなりあるのです。
その人々は宗教と言い、神と言い仏と言い、それを求めているように見えながらも、それはあくまで自己のイメージに合うものであって、自己のほうにその神仏を引き下げようとしているだけなのです。
真実に宗教の道を求め、神仏を求めようとする場合には、自己の想念行為を、ひとたびはその求める道や、神仏の中に投入し切らなければならないのです。
自己のほうから神仏の中に飛び込まなくては駄目なのです。
生きるも死するもあなた様のみ心のまま、というところから、真実の神仏がその人の中に働き始めるのであって、神仏を自己のほうに引き寄せようとするような信仰は、宗教的には邪道であるわけです。
(後略)
五井昌久著『これからの文明文化―新時代をひらく科学と宗教』より