(前略)私の肉体の頭脳は常に空なのである。
私は肉体の頭脳でものを考え出すことはない。
必要に応じて必要を充たす智慧が、私の本体から自然と肉体に伝わってくるのである。
私は霊媒ではないから、霊動したり、霊言したりはしない。
普通の肉体人間となんら変わらぬ平々凡々たる人間に見えるし、常識を一歩も超えぬ生活をし、行動をしている。しかし根本的にはまるで違っている。
それは、私の本体が光であることを、体験として知っていることであり、私の言動のすべてが神(本体)から直接に支配されていることを、はっきり認識しているからである。
普通、人間は常に、なんらかの想念が頭脳を駆け巡っているのだが、私の肉体頭脳を駆け巡る想念は何もない。
私はかつて、一切の想念を断絶する練習を、私の守護神から強制的にやらされたのである。
それは、普通の座禅や精神統一の類ではなく、二十四時間ぶっつづけの練習なのである。(中略)
苦しいといえば、これほど苦しいことはない。ものを想わぬこと、念を停止すること、即ち、空になる練習なのである。
寝ても起きても、歩行していても、全時間、すべてこの練習なのである。
この期間約三カ月、自我を全部滅却して、神我に変えたのである。(後略)
五井昌久著『神と人間』より