解脱ということについてお話しましょう。
私がよく言うんですが、仙人のように神通自在になって、姿が消えて何処でも飛んで歩けるような力を持っていても、本当に解脱していないと正覚を得ないんです。
仏さまの境地、神と一体にならないんです。
どういうことかといいますと、自分というものと神というものとの間に、隔たりがあればそれは、本当に解脱してないんです。
現われている自分というものの想いがスッカリなくなって、神さまからそのまま流れてくる、いつでもそのまま流れてきているという、そういう形にならないと、本当の解脱じゃないんです。
だから解脱即正覚というんですね。
何にも把われがない、想いが何にも乱れない、乱れる想いもないんです。
一挙手一投足が自然法爾に神さまのほうからやらされているということが、自分がやっていることと一つになる。
観るものと観られるものが一つになる。
思うことと思わされることが一つになってゆく。
そういうのを解脱というのです。(つづく)
五井昌久著『空即是色―般若心経の世界』より